マジかー。
ホントにこう書いてあるんだ。
どの講師が授業を担当しても、講義内容に大きな偏りがないよう、○○(←大手の名前)では「講師指導書」を整備し、講義内容の均質化を図っています。
A先生が担当しようが、B先生が担当しようが、C先生が担当しようが、ぜーんぶ同じ。ささ、ご安心をというわけだな。
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ということは、ここに個性豊かな講師はいない。
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どこを切っても金太郎飴状態。
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なぜ、そんなことになるんだろう?
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大きな理由はクレーム対応なんだろうね。
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「はずれ講師に当たった、何とかしてほしい。」
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さて、こういう時、どういう対応をするのだろうか?
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例えば、腕のあるA先生と、はずれ講師のB先生。
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B先生に対して「A先生を見習え」というのだろうか?
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否。
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なぜか?
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だれもがまねできない凄みのあるA先生である。
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しょぼいB先生は見習うことなどそもそも不可能なのだ。
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だったら、どうするか?
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なんと、A先生に矛先は向かうのだ。
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「みんながマネできるレベルでやりましょう」って。
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こうして、平準化、均質化は進んでいくのである。
タブレットとか映像も同じか?
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一方、手足をもがれたA先生はどうなるのだろう。
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それは
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辞めるケースがほとんど。
やってらんねーぜってね。残ったとしてもかつての輝きはない。
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こうして下に合わせた結果、塾全体のレベルはダウンすることになる。
これと似たことは前職でも経験した。「みんなができることじゃないとダメ」。このようにして、ありきたりの塾へと成り下がったのだ。
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求人広告を見てみよう。
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あの大手も、この大手も、たえず募集中だ。
甘い言葉が並んでる。
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未経験者大募集。
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研修は充実、でも、それはあのB先生にもマネできるレベル。
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そこから創意工夫し、より高いレベルを目指そうということは許されない。
君、それはB先生もやれますか?
高いレベルで突き抜けられて、独立されても困るしね。
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嗚呼、安定の大手。
塾選び、とりあえず大手、ですか?