勉強はまずは量である。
質ではない。
量を稼いでいるうちに、行き詰まり、工夫してあれこれ知恵を働かせるようになる。
これが質だ。
で、その量とは何か?
勉強している時間か?
それもある。
が、
では2時間勉強している子に、
何をやったか、画像で示してね、と言ったとき、
4ページ分の画像しか出さない子と、
30ページ弱の画像を提出する子の勉強量は同じではない。
ノート量が少ない場合の言い訳として、
「いろいろと考えていたので」
が真っ先に挙げられるが、
まあ、ノートに、ああでもないこうでもないという格闘した跡がないのは考えたうちにならない。
やはりノート量が少ないのはやってないのと同じなのだ。
勉強量はこうやって可視化が可能だ。
まずい点を指摘されたらサッと改めれば、まだましだが、
いつまでたってもチンタラやって、
やったつもりになっているのは、
もう目も当てられない。
だいたいできない子は自分のやり方に固執する。この点は字の丁寧さを指摘するとすぐにわかる。
それはともかく、
勉強は量なのであるが、
それは時間だけの問題ではないという点は強調しておきたい。