物事を評価するにしても「神です」か「クソです」の両極端でしか語れない。
友達関係もそう。「親友」か「あいつなんか死ねばいい」のどちらかみたいな。
別に子どもだけじゃない。
大人だってそう。
例えば入塾に際しては是が非でも入れてくれと懇願し、
でも辞める時には挨拶もなく、私物は置いたままほったらかし、
その件を伝えても知らんぷり。
要するに100かゼロだ。
このタイプは感情によって動く。
ゼロと100の間にある細かなひだ、グラデーションのようなものを言語化などしない。
好きか嫌いか。
要するに幼い。
自己中心的で、相手が自分の思い通りに動くものと思っている。
思い通りに動かなかった場合に
勝手に信頼は裏切られたと思い込み、一気に不信へと陥る。
ふつうは、相手の状況なども勘案し、
そんな、そうそう自分の思い通りに動くはずもないよな
ということを学ぶのだろうが、
残念ながらそうでない場合も多いようだ。
そうならなくするためには、やはり「言語化」、これしかなさそうだ。
例えば中学生なら、記録帳の左ページ、指示されている作文のほか、追加で自分で書いていっていいんだからね。
また、記録帳の右ページ、各教科のやったことの右端に、達成度・充実度をゼロから5までの6段階で表している子もかつていたことをつけ足しておこう。
これが指示されずとも勝手に言語化していった子の記録帳の跡