「たったこれだけの指示」さえ守れないという現実

先日、中学3年生に次のような指示を出した。

空欄に入れるのに最も適切なものを、1,2,3,4の中から一つ選び、英文を訳しなさい。

シンプルで、誰が見ても明確な指示だと思う。「これだけなら、さすがに全員できるだろう」と思っていた。だが、現実は違った。

指示通りに答えてきたのは、たった1名だけ。

正直、唖然とした。

多くの生徒は、選択肢の番号を書いただけ。中には「英文の分析は必要なんですか?」と尋ねてきた者もいた。また、本文を丸ごと書き写してきた者もいたが、それはどこにも書いていない「自分ルール」に従っているだけで、本来求められているものとはズレている。

何をどう読んで、どう理解したのか。

そもそも「読む」とは、表面的な文字をなぞることではない。指示の中に込められた「意図」をくみ取り、自分の行動に落とし込むことだ。

今回のようなズレは、英語や国語の問題だけにとどまらない。読解力、つまり「相手の意図を正確に理解する力」が不足している証拠でもある。こういう子は、国語のテストも例外なくできない。実際、そういう傾向ははっきりと出ている。

そして、読解力が欠けていると、テスト問題の読み違え、課題の取り違え、さらには入試本番での致命的なミスへとつながる。指示を正確に読めない者は、どれほど知識があってもそれを使う「場」を間違えてしまう。

これは将来にも通じる話だ。

「言われたことを正確に読み取り、的確に応じる力」は、学校を出たあともずっと求められる。社会に出てからは「指示を読めませんでした」では済まされないのだ。

だからこそ、繰り返しこう伝えている。

「たったこれだけの指示」さえ守れないようでは、学力以前の問題である。
たったこれだけの指示には、学習内容報告・勉強時間報告・振り返り文も中学生の場合、当然含まれる。

自分なりの判断、自分なりの解釈、自分なりのやり方——その前にまず、相手の言っていることを正確に理解すること

それが、学びの出発点だ。

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