「ワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いて、働いて、働いていく。」
昨日、自民党の新総裁がそう語った。
賛否はあるだろう。
けれど、私はこの一言に、妙にうなずかされた。
世の中は「バランス」という言葉を好む。
働きすぎず、休みすぎず。
学びすぎず、遊びすぎず。
それが「正しい」とされる。
しかし、本当にそうだろうか。
少なくとも、若い時期に限って言えば、バランスなんて取らなくていい。
若いうちは、崩してこそ伸びる
中学生・高校生のうちは、脳も心も、まだ無限に伸びる。
その時期に「効率」や「バランス」を気にしてしまうのはもったいない。
量をこなすこと。限界まで集中すること。
そこにしか、本当の成長はない。
人は、いったん極端に振り切った経験を通してしか、
自分の限界を知ることができない。
やりすぎて、壊れそうになって、
そこで初めて“自分なりのペース”が見えてくる。
バランスは、最初から取るものではなく、やり切った後に整うものだ。
「やりすぎた」先にしか、見えない世界がある
勉強を「我慢」としてやるうちは、力はつかない。
「挑戦」としてやるようになって初めて、勉強が生きる。
その瞬間、バランスなどいらなくなる。
夢中になる。
時間を忘れる。
それが一番強い。
塾では、バリバリ勉強したい子しかいらない。
週4でも週5でも、かまわない。
不合格なら追加。
合格するまでやる。
「そこまでやるの?」と思われるくらいで、ちょうどいい。
ただし、「がむしゃら」には前提がある
「バランスを取らない」ことを肯定するには、
次の2つの条件が欠かせない。
- 方向が正しいこと
やみくもに努力するのではなく、目的に沿って進んでいること。
正しい方向に全力を注いでこそ、努力が意味を持つ。 - 支えてくれる環境があること
燃え尽きたり、孤立したりしないように、見守ってくれる大人がいること。
それは塾の指導者であり、家庭で支えてくれる保護者でもある。
子どもが安心して全力を出せるのは、周囲の理解と支えがあるからだ。
この2つがそろっていれば、
若い時期に“バランスを捨てる”ことは、確実にプラスに働く。
しかるべき時期にやり切れ
大人になって痛感するのは、
本気で打ち込める時期は、人生の中でもそう多くないということだ。
「今は遊びたい」「少し休みたい」と思う気持ちは自然だが、
本気で努力できる時間は、後から取り戻せない。
休みはいつでも取れる。
でも、「全力で何かに向かえる時間」は、若さとともに過ぎていく。
だからこそ、今は“バランス”より“爆発力”だ。
やるべきときに、やりきる。
その経験が、後の人生を支える力になる。
最後に
ワークライフバランスが悪い?
それでいい。
むしろ、バランスを崩せるほどの情熱を持てることこそ、若さの特権だ。
がむしゃらに、泥臭く、全力で。
それが、あとで本当のバランスを生む。