川ヨビ廃業、その後
川崎予備校は8月をもって廃業した。
しかし、そこですべてが終わったのではなかった。
基本的に早稲田アカデミーに引き継がれたが、受験学年である小6、および中3は、早稲アカのカリキュラムではなく、旧川ヨビ教師の指導のもと、川ヨビのやり方で指導を受け、受験を迎えたのだ。
※あくまでも中学受験と難関国私立高校受験だけ
川ヨビの指導体制のもと、受験をした最後の年ということになるだろう。
結果はどうだったか?
詳しくは旧川ヨビA館1階に貼りだされているのでぜひ見てほしい。
高校受験で言えば
筑波大付属駒場1名、開成3名をはじめ、早慶附属高校にも、ほとんど不合格者がいないのではないかと思わせる素晴らしい結果を残していた。
おそらく最終在籍者は10名だと思われる中、驚愕の結果だと思う。中学受験のほうも近年にない合格実績だ。
早稲アカの教師からは、この合格実績が信じられなかったようだ。
なぜ、そんな実績が出せるのか、不思議で仕方ない様子だったという。
早稲アカには社長賞というものがあるらしく、川崎校は、その対象となったいうが、早稲アカのカリキュラムでの指導を受けてない生徒の活躍により、こういう賞をもらうというのは、痛快だ。
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さて、話を実績に戻そう。
川ヨビスタイルの一体何が強いのか?
それは、事細かなカリキュラムなど存在せず、実力向上のため、合格のため、臨機応変に指導できる点にあると思う。その時々でやるべきことを決めることができるし、過去に使用した教材も自分なりにアップデートできるのだ。核となる部分は踏襲しつつも、あとは教師の裁量に任せられている、これに尽きると思う。
だから、川ヨビの印象も、だれに教えられたかで全然違う。
近年、川ヨビの合格実績は低迷傾向にあった。それは、それまであった「合格のためには何をやってもよい」という文化が壊されていったからだと思う。「どんどんやれ」から「あれをやってはいけない、これもダメ」へ。みんなで歩調を合わせようとした時から、歯車が狂っていったのだ。また、タケノコ状態に増えた「会議」の存在も挙げられる。生産性のない会議にエネルギーをどれほど奪われたことか。そしてその決定に縛られていくという悪循環。
しかし…
廃業後においては、もはや会議にエネルギーを費やす必要もなく、また「あれはダメ、これもダメ」と口やかましく言う者もいなくなったとき、かつての輝きを取り戻したのではないだろうか。
もちろん、合格実績は生徒の努力のたまものだが、こういう事情も関係しているはずだ。
合格のそのあとで
旧川ヨビ勢が圧倒的な実績を残して、受験を終えた。
それは早稲アカ勢の比ではないはずだ。
だとしたら、早稲アカの教師は、旧川ヨビの教師に指導方法を聞き、それを今後の指導に役立てたりするのだろうか。
残念ながら、そういうことはしないだろう。
というより逆である。
現に、その下の学年、中1、中2は、早稲アカのカリキュラムに則って指導が行われており、実際、生徒の定着度などをみて指導のスピードを変えたりすることすらかなわないらしい。
素晴らしい実績を残した旧川ヨビの教師も来年度からは、早稲アカのやり方に則らざるを得ない。
実績のある方にではなく、ない方に合わせる。
まさにここに書いたのと同じことが今、行われようとしている。→ココをクリック
さらに、旧川ヨビの教師陣は、そのほとんどが川崎を去る。
別の校舎に異動ということ。その地域に根付いてはいけない理由もあるのだ。
本来なら、実績を残した教師のやり方を尊重し、また、その校舎の顔となるべく、そのまま留まらせるのが筋だと思うが、そういうことはやらないのだ。
だから、合格実績を見てそこに通わせようと思っても、その実績を叩き出した教師の指導を受けることはできないということになる。
塾を「システム」としか考えていないのだ。
塾は「人」だと思う。
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ともあれ、こういうわけで、本当の意味での川ヨビはこの春の受験をもって終わったといってよい。
もう、だれも川ヨビスタイルでの指導を受けることはないのだから。
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ん? そうなのか?
え? ホントに?
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もっと進化させた形で継続中、それがここ歩実塾であり、川崎武蔵小杉予備校だったりする。
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