歩実塾では、塾生限定ブログに毎日、現代文の重要語句や背景知識をアップしている。
一見、地味な積み上げかもしれない。だが、これがいずれ検索可能な「塾内専用・現代文辞典」になるのではないかと考えると、楽しみで仕方がない。
「逆説」「記号」「抽象」「有機」——
今はただの単語にすぎないかもしれない。だが、そこに意味だけでなく、使用文例や解説、関連知識が日々追加されていく。100語、200語と積み重なったとき、このブログはただの読み物ではなく、実践型の国語ツールへと進化する。
ある日、生徒が評論文を読んでいて、「あれ、この言葉、どこかで見たな」となる。そのときに塾内ブログで検索をかけると——意味・解説・例文がすべて揃って出てくる。
国語における“調べる力”と“理解の土台”が、そこに整う。
さらに昨日、ふとアイデアがひらめいた。
この塾生ブログに、国文法も組み込んでしまえばいいのではないか、と。
動詞の活用。助動詞の識別。などなど。
スモールステップで、問題つきで、少しずつ積み上げていく。
そうすれば、国文法もまた“検索可能な理解の地図”になる。
歩実塾は、そもそも「授業を聞いてわかった気になる」よりも、自分で読んで理解することを何より大切にしてきた塾である。
授業で与えられる知識よりも、自分の手で獲得した知識のほうが、はるかに深く、長く残る。
塾生ブログは、現代文の語彙と知識を蓄積する“辞書”であり、
国文法を鍛える“トレーニングノート”にもなる。
これは、教室の外でも育つ力だ。
静かに、しかし確実に、歩実塾の国語が変わり始める。
塾生なら以下の文も、もう、なるほどねって分かっているはずだ。
本来、手段とは目的達成のために可変的に選択されるべきものである。しかし、人はしばしば手段に固執し、それ自体を目的化するという錯誤に陥る。これは、当初掲げた目的が長期的かつ抽象的である場合に顕著である。目的が遠景に退くと、人は直近の行為に達成感を見いだし、それを継続すること自体を正当化しやすくなるからだ。だが、手段は本来、目的の変化や環境の推移に応じて再編されるべきものであり、それを固定化すれば本来の到達点から逸脱する危険をはらむ。かくして、手段の目的化はしばしば本質的進展の停滞を招くのである。