子どもがここまで言っているんだから、まあ、いいか…
と、許すことはあるかもしれない。
でも、待てよ。
ちょっと前までは「やり通す」とか「がんばってみる」って言ってなかったか?
いや、そもそもここは絶対だからね、という基準を家族で共有しているのではなかったか?
なのに、それを「まあ、いいか」と許してしまう。
許した先はどうなるか?
「やっぱ、いいや」の始まりとなる。
「やっぱ、いいや」に続くのは「初めからそんなに本気じゃなかったし」である。イソップの「酸っぱいブドウ」と同じ。
何か始めようとすると続かず、「やっぱ、いいや」とやめ癖がつくのだ。
そうするとどうだ?
いざ本気になった時が来たとしても、
必要なことは何一つ身についてなく、
慌てふためく。
そして、後悔するのだ。
あのとき、続けておけばよかったと。
だから、やると決めたからには絶対にやり通す。
どんなに忙しくなっても、やり抜く。
この環境を作ってあげないといけない。
忙しさの中でこそ、あるいは大変だからこそ、工夫とか時間の使い方とか身につくもの。
また、そんな中でやり抜いたという経験もまた、その後の財産となるだろう。
こういったこと、大人になる前に経験せず、いつ経験するのだろう。
そう考えると、「ま、いいか」は「まぁ、よくない」だったりするのだ。